アンドレ・ケルテスこそ歴史上世界最高の写真家だ

 

今回は、写真の歴史に於ける最重要人物、真剣に写真の技術や表現を追い求める人間にとって必ず知っておくべき写真家とその写真を紹介していきたいと思う。第1回は、ハンガリーの写真家、アンドレ・ケルテスである。

アンドレ・ケルテスについて

ケルテース・アンドルアンドレ・ケルテスKertész Andor [ˈkɛrteːs ˈɒndor], André Kertész1894年7月2日 - 1985年9月28日)は、ハンガリー出身の写真家。本名(ハンガリー名)は姓を先に表記するケルテース・アンドルだが、日本ではフランス語からの紹介が多いために訳者によってフランス語風にアンドレ・ケルテスと表記される場合が多い。
ブダペストに生まれ、アメリカ合衆国ニューヨークで没した。戦間期に活躍した写真家に多いハンガリー出身者たちのうちでも特に重要なひとりである。

Wikipedia:アンドレ・ケルテス

アンドレ・ケルテスと同世代の写真家

ご存知の通り、アンドレ・ケルテスはハンガリー出身の写真家だ。ケルテスが生まれ育った1900~1920頃のハンガリーには、ロバート・キャパやブラッサイ、モホリ=ナギ・ラースローといった歴史に残る名写真家が多く、ヨーロッパ全体を見ても写真表現の黄金時代と言っても過言ではないだろう。

その中でもアンドレ・ケルテスの写真表現は頭一つ抜きん出ている。ケルテスの写真表現はモホリ=ナギの実験的な表現を引き継ぎながらも、より普遍的な感覚を追求したようなイメージだ。

アンドレ・ケルテスより1世代後の写真家にはアンリ・カルティエ=ブレッソンがいる。

ブレッソンは世間一般の知名度だと、ケルテスよりも明らかに有名、かつ歴史上最高の写真家として名前が挙げられる事も多い。

私個人の所感としても、ブレッソンは世界最高の写真家だと『思っていた』。

アンドレ・ケルテスと出逢うまでは。

実はブレッソン自体がアンドレ・ケルテスの影響を多分に受けている。つまり、ケルテスはブレッソンの写真の父である。それは即ち写真の父と言えるのではないだろうか。

後ほど紹介するが、ケルテスの写真はもはやこの世の物とは思えないもので溢れている。

彼はキャリアの中盤にディストーション(註:歪みの意)というタイトルの写真集を発表して当時の写真界を騒然とさせた。

彼はそのディストーションの中で、凸レンズを使って美しい女性のヌードを撮ったのだ。

ディストーションは写真表現としても非常にわかりやすい為に、一般的なアマチュア層も含め当時相当ウケたに違いない。だが、この写真集はケルテスの才能の極々一部を切り取ったにすぎない。

アンドレ・ケルテスのおすすめ写真集

アンドレ・ケルテスの写真集を持っていないという人の為に、幾つかおすすめ写真集を紹介する。

まず大前提として言っておくが、もしアナタが写真に対して真剣なら、絶対に紙の写真集を購入する事をオススメする。一体何故か? 端的に言うと、紙の写真集で写真を見ると、アナタの写真撮影技術も上がるからだ。

デジタルカメラで撮影された写真が液晶パネル上で一番美しいように、フィルムカメラで撮影された写真は印画紙の上で一番美しく輝くのだ。

その感覚をきちんと養っておくと、いつか君が写真を印画紙へプリントする時にも役立つだろう。ひいては、それは撮影の時点で最終的なプリント段階の完成形をイメージする能力を強化する事に繋がる。デメリットは特段何もない。

まぁ、ブレッソンの『逃げ去るイメージ』くらいの値段だと話は別かもしれないが(笑)

さて、では1つ目の写真集を紹介しよう。

アンドレ・ケルテス展

アンドレ・ケルテス展が行われた時に発刊されたものだ。現在では新品では購入出来ないので、ヤフオクや古本屋で中古を購入する事になるが、率直に言ってこの写真集が一番おすすめだ。

幾つかある理由を以下に列挙した。

  • アンドレ・ケルテス展は価格が安い。およそ1000円以内で購入が可能だろう。
  • アンドレ・ケルテス展は掲載されている写真数が圧倒的に多い。その分1枚1枚は小さめの物もあるが、それを差し引いても魅力的な掲載数だ。
  • アンドレ・ケルテス展には、他の写真集には載っていないような珍しい写真も多く掲載されている。

この3点だ。ヤフオクを見て頂ければわかるが、このアンドレ・ケルテス展は、他のケルテス写真集と比較してかなり安価で取引されている。

各年代ごとに多くの写真が掲載されている事もあり、アンドレ・ケルテスの世界観を知る意味でも初心者に相応しい写真集と言えるだろう。

Polaroid(ポラロイド)

アンドレ・ケルテスの晩年の写真集だ。インスタントカメラの代名詞とも言えるポラロイドカメラを駆使して、ケルテスが住んでいたニューヨークのマンションの1室からのマンハッタンの風景を撮影するというコンセプトになっている。

「なーんだ、ただの風景写真か」と侮る事なかれ。ケルテスは『普通』の写真を撮るのに満足するようなヤワな男ではない。

水晶玉などの置物越しに撮影する事で、ケルテス流のネオ風景写真とも言うべき独自の世界観を生み出している。

同じ水晶玉を使う撮影でも、現代のインスタグラマー(笑)がやっているような中身の無いペラッペラな表現とはあまりにも次元が違う。是非実際に写真集を購入して感じて見て頂きたい。

ちなみに、前述の『アンドレ・ケルテス展』にもサイズは小さいがポラロイドの写真が幾つか掲載されているので、それもオススメだ。

まとめ

孤高の王、アンドレ・ケルテスの世界。いかがだっただろうか。

個人的にも写真芸術の世界の中ではベストオブベストとも言うべき存在なので、つい熱くなってしまったが(笑)、この熱量が文章を通して少しでも伝わったら本望だ。

今後も優れた歴史的写真家を多数紹介していく予定なので是非ブックマークして頂けると是幸いだ。

アンドレ・ケルテスは歴史上最高の写真家だ。

アンドレ・ケルテスが世界に提示した写真感覚は、いわゆる写真の歴史の王道ではないかもしれない。

でも、そもそも王道である事に何の意味があるだろう?

誰でもやれる事を誰でも出来るレベルでやる事に価値があるだろうか?それは、芸術という世界出なくても、例えばビジネスの世界でも一緒だろう。他社と同じ価値しか与えられないのなら、選ばれる事はない。もしくは価格競争という名の泥試合に突入するだけだ。

人と違うからこそ表現は面白いのだ。

その人しか表現出来ない世界観があるからこそ、私はその作品を見たいと感じるのだ。

しかし、少しだけ視点を変えて世界を見た時にケルテスの写真は超王道の写真表現だ。

現代の世界はInstagramを始めとした『加工が前提の写真世界』に支配されて久しい。

自然を否定した彼等が圧倒的多数派を占めるその世界の中では、ケルテスやブレッソンと言った『前時代の』伝説的写真家達が刻んだ足跡を感じる事の出来る人々はとても弱々しく思える。

まるで、何処にもいないように。

もしかしたら、いや、きっとこの世界の何処かにはいるのだろう。だが、残念ながら彼等の声は今となっては風前の灯火のように、声なき声を自分の心の中に反響させるに留まっているに違いない。